一般財団法人 南都経済研究所地域経済に確かな情報を提供します
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主席研究員 山城 満

トリレンマの犠牲

欧州でユーロ圏が形成されたことで注目されたのが「国際金融のトリレンマ」である。「自由な資本移動」「固定相場制」「独立した金融政策」は3つ同時には成立しない、つまり、2つだけは成立するが、残りの1つは犠牲になるとするものである。

自国通貨を共通のユーロとすれば為替が固定され貿易の安定につながり、また、域内での資本移動の自由は外国からの投資を呼び込める。しかし、金融政策を欧州中央銀行に一任することになり、強者と弱者が同じ土俵で戦うことで敗者が生じてくる。

これに似た「世界経済の政治的トリレンマ」という仮説が、10年ほど前にハーバード大学の教授により提唱された。「グローバル化」「国家主権」「民主主義(個人の自由)」は3つ同時には成立しないとするものである。世界の政治体制の面では、グローバル化と国家主権をとれば民主主義が犠牲になり、また、グローバル化と民主主義をとれば国家主権が、国家主権と民主主義をとればグローバル化が犠牲になるという。

つまり、それぞれが抱える難しいジレンマを乗り越えて、たとえ2つでも同時に達成されれば非常にハッピーな状況と信じられ、疑いは持たれつつもしばらくは続く。しかし、いずれ残りの一つの犠牲が容認できない所まで深刻化する。

今起きている、欧米でのナショナリズムの台頭、依然としてくすぶっている欧州金融危機、そして、中国の覇権主義と民衆への「宣伝・煽動」など、トリレンマの犠牲要因の噴出であろう。

つまり、交互に見える自由と規制、グローバル化とナショナリズム、戦争と平和などは、残りの一つが表出したものであろう。

そして、米国では共和党政権に代わった。民主党と共和党が交互に政権を握ってきたが、民主党が世界に対し寛容であった間に世界で不穏な状況が発展し、湾岸戦争やイラク戦争など共和党が戦争を始める。共和党は別に戦争が好きなわけではない。これまで、第二次世界大戦やベトナム戦争など、民主党も多くの引き金を引いてきた。頭をもたげた犠牲要因としては強力な警察権や裁判権といった統制力などが考えられる。

私が世界経済を論じても、それこそ当研究所のあるならやまで雀が騒いでいるようなものであるが、今考えるのは、急速に拡大したインターネットという仮想空間とリアル世界のハッピーな結合の中で何が犠牲になっているのかという点である。つまり、ネットが否定される日もいずれ到来し何が台頭するのかであり、何が人々のニーズとして支持されるのかということである。そして、トリレンマを超え4つ以上は何と呼ぶのだろうかである。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2017年4月
主席研究員 山城 満

アタック難波湾

難波(なにわ)の海、大阪湾を囲むエリアは、阪神工業地帯あるいは近畿大都市圏として日本の経済発展を支えてきたエリアであり、近年は、液晶やプラズマパネルの開発・生産では世界の最先端を行く「パネルベイ」として、また、リチウムイオン電池などの新世代電池の開発・生産拠点である「バッテリーベイ」として、日本の次世代を担う先端産業の集積エリアとして期待されてきた。

しかし、今や、それらの産業も韓国や台湾、中国等の追い上げを受けて苦境にあるのは周知の通りで、首都圏とも格差はますます拡大し、人口減少時代に入り一層の地盤沈下が危惧される。

特に経済の一極集中が進む首都圏は、高速道路網、高速鉄道網が蜘蛛の巣状に張り巡らされ、その一体性と効率性はますます進化し膨張し続けるが、日本の健全な発展とは言い難い。

バランスの取れた日本の発展のためにも、近畿圏の復権が望まれるが、一つの近畿圏として、湾岸から内陸部にかけての府県が互いに連携を円滑化することが、大きな相乗効果を生む。互いに、ライバルとして切磋琢磨すること、あるいは共同による投資の額と範囲の拡大、研究・開発や職・住の適正配置、さらにインバウンド観光のルート化なども含まれよう。

その中で、「京奈和自動車道」は、湾岸を幾重にも囲む首都圏の高速道路網整備に対抗するために極めて重要な位置にある。昔ながらのインフラ整備つまりナショナルミニマム政策の延長という発想だけでは、なかなか実現は困難であり、近畿圏連携の効率化やイノベーションを促す触媒としての意味合いを持たせ、官民の投資や消費を呼び込むツールとすることが重要である。京都・奈良・和歌山などの行政界にとらわれるべき問題ではない。

巨人東京に対し、近畿は京・阪・神各都市が個性的でバランスのとれた発展の核となろう。液晶や新電池の先端技術開発力もまだまだ健在であるし、素材や医療、薬品、バイオなどの分野での研究開発力も高い。さらには、日本の歴史を形作ってきた世界に誇れる歴史的な観光資源など、イノベーションのタネは尽きない。

しかし、地方の中小企業などはついていけず波及効果は乏しいという見方もされる。確かに、ついていけないところも出るであろう。しかし、一方で独自の研究開発、地域の独自性を生かした取り組みで小さなエクセレント企業・地域となるところも多い。

スペック向上のみの「正常進化」を遂げているだけでは、スピードの速い世界競争の中では「正常退化」と呼ぶに等しくなってきている。イノベーションのないところに経済の成長は生まれない。苦しくったってアタックしていくしかないのである。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2016年5月
主席研究員 山城 満

ブラック企業とブラック社員

デフレ経済がなかなか収束しない中、悲惨な労働条件で従業員を働かすブラック企業が問題化している。国会では「派遣労働法」改正という、非正規社員をめぐる労働法制でもめ、「働き方・生き方の多様化」などという、おそらくそういう境遇にある人たちの中で数パーセントあるかないかの考え方で美化されている。

いずれにせよ、産業のグローバル化により、労働力の国際市場化も進んでいる。国際的に移動しやすい製造業で特に顕著だが、国内の人件費が高ければ、拠点は海外に移転するだけである。国内に残るためには、人件費に見合う付加価値が求められる。

一方、商業、飲食、個人サービスなどの非製造業では、国内マーケット、あるいはもっと狭くローカルなマーケットを対象とし、人対人の関係で成り立っている場合が多い。そのため、海外移転の懸念もないが、低付加価値・高コスト体質が放置されがちで、いずれマーケットはそれを支える力を失うかもしれない。

つまり、労働力=人材の自由市場化とグローバル競争が進んでおり、日本人は、自分たちの数分の一、数十分の一の単位賃金の労働力と競争している。労働が厳しくなるのは当然といえるし、それに抗うのも無責任な話である。

ブラック企業を、労働生産性が低いのは経営革新を怠る経営者自身の責任であるとは考えず、低賃金・過重労働を強いる企業とするならば、一方で、働く時間でしか価値を示せない「ブラック社員」も問題であろう。決められた時間をとりあえず働けばよいとする人、あるいは終身雇用と年功賃金の制度の中で、日常生活において「明日も今日と同じ」と思っている人たちである。

階級闘争的な論調で、労働者からの搾取を糾弾する「革新的」な人はここでは論外であるが、高付加価値化を図る経営革新を怠りながらも厚顔な経営者側と、勤務先にいる時間で給料を計算し付加価値を高めようとしない従業員側との、泥舟の上での争いを続ければ、いずれ市場化の底に埋没することとなろう。

市場化というものは、既得権益を始めとして細々なことに至るまで、それまで保たれていたバランスが崩れることであるから、拙速に行えば多くの場合失敗する。だからダメなのではない。5年、10年を超える長期戦略として考えるべきことなのである。長期戦略のある時点を超えたところでブレークスルーは起きる。ブラック企業、ブラック社員とも注意すべしである。

市場化されたくない人はスローライフを求めれば、それはそれで立派な生き方である。そして、それを突き詰めれば立派な優位性となり、本人にはたぶん自覚はないであろうが立派なベンチャー企業家になりうる。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2015年7月
主席研究員 山城 満

第二の開国

鎖国の中で眠った日本にアメリカから黒船が来航し開国を迫ったのが1853年。ここから一気に開国が進んだイメージがあるが、次に欧米が日本に武力で迫ったのはようやく1863年になってからの下関砲撃、薩英戦争で、結構長い平和が続いていた。

この間、欧米諸国が何をしていたのかというと戦争である。ヨーロッパではクリミア戦争、イタリア統一戦争、フランス・メキシコ戦争、アロー戦争(対清国)、アメリカでは南北戦争と、欧米列強といわれる国々は手いっぱいの状況で、極東の後開発国に構ってはいられない状況にあった。一方の日本は、「攘夷」「打ち払い」の妄想に取りつかれ、神の国などという非合理的な守旧思想の下で、内輪もめを繰り返していた。

幕末の動乱期、欧米列強の武力にビビりまくったものの、世界情勢を一番つかんでいたのは徳川幕府であろう。明治維新では、新鋭の武器導入に熱心な薩長軍に対し、幕府軍は旧式なイメージがあるが、それは幕府側の諸藩の話で、幕府軍はいち早く兵制改革に乗り出し、新鋭兵器を装備し、砲兵、騎兵から工兵まで持つ当時国内最強の軍隊であった。ただ、長年の平和に慣れ親しんだ「ゆとり世代」の武士では使い物にならず、ならず者を集めるしか手立てはなかったことが活躍できなかった原因である。

貴族制度が残るヨーロッパでは、上流階層は特権に応じた義務を負うとする「ノブレス・オブリージュ」の考えが浸透し、貴族の子弟は戦列の前面に立ったが、堕落した日本では、高級武士の多くは陰に隠れ、守旧の考え方を振りかざしたままであった。

この時、徳川幕府は「不平等条約」を結ばされたものの、輸入においては、国内産業に影響が小さいように、日本に有利な高関税率であった。なぜかというと、欧米列強内でも産業力の格差があり、産業革命の進んだイギリスの一人勝ちが懸念されたためで、欧米間にも相互牽制が働いていた。

国内では、急激な貿易拡大に生産力が追い付かず物価が高騰し、その結果、安い海外製品の大量流入で日本の家内工業的な零細事業者は海外製品に淘汰された。しかし、取って代わって勃興したのが「富岡製糸場」を始めとした工場制の近代的絹産業であり、以後の日本の経済発展をリードしてきた。

今、TPP交渉が進められているが、情報通信・交通が進歩した現在においては、情勢の分析は少なくとも幕末からすれば驚異的に速い。攘夷か開国かの狭い視野での内輪もめをしている場合ではない。もう日本は、長い間続いたコメの国でもなければ、古い感覚の貿易立国でもない。工業も農業も、サービス業も次世代を見据えた経営革新こそ迫られている。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2014年9月
主席研究員 山城 満

独立自尊

黒船来航を契機とした明治維新により、日本は幕藩体制が崩壊し、明治政府による中央集権制、西欧式の近代国家建設へと歩み出した。明治2年には版籍奉還が行われ、奇跡的なスピードで進んだが、この背景にあるのが借金踏み倒しである。

藩の運営は巨大な借金の上に成り立っており、ほとんどの藩は財政破綻していた。そのため、これ幸いと明治政府に領地を返還した藩も多い。明治政府が引き継いだ幕藩の公的債務は2割~3割にすぎず、毎年の新たな税収は、近代国家建設の原資となった。

約150年が経ち、開国を迫った米国では、巨大に膨らんだ政府債務の上限枠引き上げ問題で予算案が国会を通過せず、10月からの新会計年度早々に国家機能が一時停滞、「デフォルト」の可能性もささやかれるに至った。国家補助による医療の国民皆保険化を目指すいわゆる「オバマケア」に対して、社会保障費増大による財政悪化を懸念する声が根強い。

また日本は、1,000兆円に上る政府債務を抱え、さらに、年々膨張する医療費をはじめとした社会保障費を賄うため、消費税の段階的引き上げを決定した。日本の国家予算に占める税収入は半分にも満たず、国債の利払い費は10兆円を超えている。このまま、日本の信用が傷つき、利率が上昇することとなれば、1%の上昇は10兆円の利払い費増加をもたらす計算である。

今のところ、1,500兆円を超える日本国民の金融資産、300兆円近い対外純資産により事無きを得ているが、このままでは、どのように踏み倒すかが議論される日も近い。

1,000兆円はなにも政府が贅沢三昧に走ってできた債務ではない。使い方の是非はあろうが、国民に使われたカネであり、いうなれば国民が国に依存したツケである。

早くから消費税引き上げが叫ばれたものの、経済の回復優先でここまで引き延ばされてきた。それで、日本は真に立ち直れたのかを問うと、やはり依存を抜け切れず、経済的に虚弱化してきた感が否めない。予算の使い方や、国の借金を次世代に残すか残さないかの議論も重要だが、今の世代の在り様を問う時であろう。

明治維新期の思想的リーダーの1人、1万円札の福沢諭吉は「独立自尊」を唱え戒名にも入れている。「心身の独立を全うし自から其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」、つまり、「自立」、「独立」、「自己責任」が人としての尊厳を形作っているということか。江戸期の失われた260年から、わずか30年で西欧をキャッチアップし一躍世に出た日本にとり、本来は、たかが「失われた20年」など・・・・・。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2013年11月
主席研究員 山城 満

ベンチャーと規制改革

最近、話題に上ることがめっきり少なくなったような気がするベンチャービジネスと規制改革である。

1980年代から90年代初頭には競争力世界一といわれ、これまでの日本を強力に牽引していたオールドビジネスは、近年の衰退が著しい。ただ、ベンチャースピリットの多くは、そのような企業の中に内包され、今でも、先端的な機械や素材などで一定程度の競争力を維持する要因ともいえよう。

近年の統計によると、日本企業が創り出す付加価値額は、着実な減少トレンドにある。低価格を武器に世界シェアを伸ばす海外勢との価格競争を、付加価値を削ることでしのいでおり、発展的な研究開発や設備投資に回す力は弱りつつある。

ひたむきに研究開発し、粛々と高品質なモノを作り続ける日本を象徴する研究開発と高品質は、過去からの規制や秩序、あるいは成功体験を引きずりながら、いつのまにか小改良と律儀な製品づくりの殻に閉じ込められ、ブレークスルーするビジネスモデルの出現には今しばらくの時間を要する。

規制緩和による経済発展を図る新自由主義の果てに直面した米国発のリーマンショックと世界不況。その後の、経済対策と金融緩和の果ての欧州の経済危機と米国の「財政の崖」問題。ニューも危険だが、伝統的でオールドな経済政策も行き詰っている。

しかし、国内でのモノづくりをあきらめたとも思えるほどのパラダイムシフトを遂げたアメリカは、闊達なベンチャー・チャレンジスピリットにより、世界シェアトップ水準を走るベンチャー企業、オールドエコノミーに対するニューエコノミーが台頭し、また、株式を公開するや否や世界的企業に躍り出る学生ベンチャーも出現している。かつてモノづくりで世界経済の成長をけん引し、成熟化が爛熟に至るとともに「病んでいる」とまで揶揄され、財政赤字と貿易赤字に悩み、金融危機に打ちのめされたとはいえ、アメリカンドリームの国の底力を見る思いである。PDCAサイクルが早く、時には戦略すらも変えてしまう。

そのなか、日本における山中伸弥京大教授のノーベル賞受賞は、あらためて日本のベンチャーの可能性を知らしめた。一時のベンチャーブームで大学発ベンチャー1000社の達成後、まるで社数自体が目標であったかのように、その動静が伝えられることも鎮静化していたが、世界を覆すような研究が着実に進んでいることは、まだまだ、日本の実力は衰えていない証とも思える。

様々な規制、制度、しがらみ、常識を打ち破る闊達なベンチャー・チャレンジスピリットが今こそ求められる。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2012年12月
主席研究員 山城 満

昔軍事費、今社会保障費

明治維新後の日本は、富国強兵の掛け声の下、軍備拡大を進めてきた。国家予算に占める軍事費の比率は、明治10年の西南戦争で4割、その後の平時には2割ほどであったが、明治27年からの日清戦争で6~7割、そして、明治37年からの日露戦争で8割を超えた。

幕末の血なまぐささを未だ残す時代であり、日本がまだ産業的にはよちよち歩きを始めたばかりで貧しかったころである。国家予算の全部が税収で賄えるはずもなく、特に戦費調達には赤字国債が発行されたが、国内の貯蓄は到底及ばず、それは外国からの借金を意味した。

この頃の国民は、江戸期までの封建制時代には、国といえばせいぜい現在の県レベルの範囲であったものが、「独立国家」というものに戸惑いながらも国民の義務というものも認識し、「お国のため」よく我慢しよく働き、そしてよく戦った。

その後はやや落ち着いたとはいえ、おおむね3割台で、ついに第二次世界大戦の準備に入るころには7割を超え、国家は「お国のため」の掛け声の下、軍事費拡大で破滅まで突っ走った。

現在、同じように、国家予算のうち社会保障関係費が3割に達し、さらに増え続けている。国民の負担には税負担の他に社会保険料負担があるが、この国民負担が国民所得(NI)に占める割合は、近年38%水準にあり、50%を超える北欧高福祉国に比しては低い。しかし、財政赤字(赤字国債)の存在を勘案すると49.8%になるといわれ、本来は決して低い負担ではない。

その赤字国債も自国内で多くが消化されており、とりあえずの危機には至っていないが、1400兆円を超える国民の貯蓄を1000兆円も吸い続けて、国民は、さらに福祉水準の低下を非難する、また、消費増税を非難する。そして、政府は、「福祉のため」と言えば増税がまかり通るというスタンスである。

消費増税。それは世界不況に傷つき、未だ立ち直れない「今」ではないかもいれない。しかし、国民皆が活性化し、国家に対する義務を果たすべき成長戦略を急がなければ、国民自身が温厚な自国民の懐をあてにしたパラサイト状態はいつまでも続く。

かつては軍事費の肥大が、「国家のため」という言葉の裏で暴走し、今、社会福祉費の肥大が「幸せのため」という言葉の裏で暴走し続けた場合、1000兆円もの「おねだり」をしてきた日本の行く末は、古代ローマ滅亡の例を出すまでもなく、明白である。

第二次大戦に突っ走った反動で、「国家のため」はなぜかタブー視に近いが、タブーを残しては、本質的な議論などない。「働け、知恵を出せ日本人」である。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2012年4月
主席研究員 山城 満

この国のジャスミン革命は・・・・・・

ジャスミン革命。ジャスミンを国花とするチュニジアから始まった、国家独裁者からの民主主義奪還の革命は、アフリカ北岸から中東に伝播し、さらに拡がる気配も見られる。独裁者の専横と富の独占に虐げられた民衆の民主化運動は、比較的穏健ながら生死を賭けた蜂起とも言えよう。

一方、未曾有の国難とも言われる東日本大震災と原発事故に対して、なかなか復旧・復興が進められない「民主的」なリーダーが君臨し、「忍耐強い」国民性に胡坐を掻き続ける我が国のジャスミン革命は・・・。

もともとの発端は、東日本大震災の救援・復興活動、原発事故への対応についての現政権の対応の遅さとまずさを指摘し、リーダーシップのある指導者にすげ替えようというものであったはずが、いつの間にか、政権の主導権を争うというお決まりの「政争」、しかも与野党入り乱れての大混乱である。メディア報道も、混乱の本質を見抜いたのか、あるいは、面白おかしい方向に誘導したいのかは不明だが、いつのまにかその方向である。

いずれにしても浮かばれないのは被災者、また、ひいては日本国民であり、あらためて「政治主導とは」「リーダーシップとは」が問われている。

その状況下、たかだか数十万票を得票し限定的な利益誘導に明け暮れる政治家よりは、行政の高度なスペシャリストである官僚の力の方が頼りになるとも思える。

経営組織論では、意思決定ルートが冗長・硬直的で緩慢な組織の代名詞とされ「逆機能」ばかりが揶揄される「官僚組織」であるが、本来は、例えば法律といった決められた枠組みの中では最も効率的で、適切なリーダーシップの下では極めて有能なはずである。

ただ、法律では「想定外」である事態や、新たな枠組みの模索に時間がかかる場合には旧来の枠組みが邪魔をして停滞する。これを打ち壊し組織の意思と自由度を尊重する、ある種の「専制」がリーダーシップであろう。

しかし、高い専門性を持つスペシャリストに対し、幅は広いが中途半端な知識で対抗しようとするジェネラリストによる専制、すなわち稚拙なリーダーシップは、変化に対するボトムアップの意思決定をも退け、組織機能を統制すべき「民主」の衰退の危うさも持つ。

今、深刻な状況からの再建が目指される日本において、求められるのは「ジェネラル」に思考し、果敢な決断と権限移譲により旧弊を打破する統制のスペシャリストの出現であろうか。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2011年7月
主席研究員 山城 満

革命の果ての反革命

中国経済は、経済的なショックより、実は政治的なショックに大きく揺れるという伝統がある。そういう意味で、胡錦濤国家主席の後継者として、習金平氏がほぼ決定し、今後、正式な引き継ぎがなされる2012年の全人代を挟んで、中国経済変動の契機となるのではないかとも指摘されている。

1978年に市場経済を目指す改革・開放路線に移行して以来、驚異的なスピートで経済発展を遂げてきた中国であるが、91年以降の旧ソビエト連邦や東欧の共産主義経済体制の崩壊を目の当たりにしながら、マルクス経済学の視点から世界で最も資本主義経済というものを分析し、実行してきたのではないだろうか。

資本主義国の共産主義者が、体制を批判し、気楽に共産国に愛想を振りまいている間に、中国は着実に、予言者の資本主義成長と膨張の過程についての託宣を実行しているとも思われる。

国家と一体化させた巨大金融資本による産業の育成と、その裏で見え隠れする国家独裁。巨大な資本を蓄積し、その過剰化した資本の投下先を入手するため、巨大な力を持つ国家と独占資本は一体となりさらなる利潤を求めるべく行動する。

その後、国家独占資本主義は、国内の貧困層を懐柔するため、社会保障政策を行ったり、財政政策による高雇用政策・持続的成長を目指す方向へと転換していく。

国家による「有効需要」の創出は、まさに、ケインズ経済学の神髄であり、続いて「社会保障充実のポーズ」も、国家独占資本主義の一過程である。

ところが、過剰の解消はなかなか進まないことは予言されていることから、こうした対国内方針とともに、帝国主義的な対外膨張政策が必要となり、まさに、国内のみならず、アフリカの資源国や尖閣諸島にみられるように、海外にも資源侵略を進めている。

その中、最も政治力がある上海は、今や、最も大きな経済力も身に付けたが、真に、経済的センスで先んじているところは、経済自由化の先駆けであるシンセン―香港―マカオのラインであろう。

この地域の巨大経済力は、いずれ政治力でも上海に匹敵するものと考えられ、政治的ショックの引き金になる可能性も考えられる。

国家独占資本主義を政治的な面からみると、共産圏での核兵器の標的は、何でも言うことを聞いてくれる優良顧客の東京・ワシントンより、案外、経済的だけでなく政治的にもライバルになるシンセン―香港―マカオのラインかもしれない。もちろん事故で。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2010年11月
主席研究員 山城 満

爛熟の戦争

泰平爛熟の元禄時代に代表される我が国封建制度は、やがて明治維新により破壊され、代わって誕生した資本主義が、日清・日露戦争を足掛かりとして活躍し始めた頃の話はNHKドラマの題材ともなっている。その後、資本主義が爛熟の域に達して来た時、グローバルな資源・市場争奪という帝国主義に初めて遭遇し、そして、第二次世界大戦の敗戦によりことごとく破壊された。

人・モノ・カネ、そして情報がほとんど自由に世界を駆け巡り、民主主義が定着する中、日本も仲間入りを遂げた先進諸国は爛熟の域に達し、新興工業国群、資源産出国が凄まじい勢いで発展の階段を駆け上っている。

兵器の破壊力が巨大化し、情報共有化・民主化が進む現在、あのような世界中を巻き込んだ武力戦争は、どの国にとっても損であり、再び起きることはまず無い。しかし、長い歴史の中で人類の社会システムを破壊し変革してきた戦争が無くなることもまず考えられない。

戦争の本質を考えた場合、まず第一に、相手の労働力である戦士を殺害し、第二に、生産設備を破壊し、最後は、資源独り占めや略奪により二度と立ち上がれないようにするか、永遠に貢ぐ属国にするかである。民族や宗教やイデオロギーの対立などはきっかけに過ぎない。

今、日本は、高度成長期を経過し、経済的にも文化的にも爛熟期に入り怠惰と閉塞感が漂い始めている。そして、かつての武力による戦争は、経済的な競争というものに姿を変えている。国際競争の敗北による失業の増加は、労働力の破壊であり、そして、生産拠点の海外への流出は、国内の生産設備の破壊に他ならない。やがて、輸出の落ち込みはハイパー円安とインフレを招き、海外からの資源は買えず、富める他国に資源は集中する。

グローバルで過激な市場原理は市場獲得の戦争である。その戦争の中で、日本だけが、平等(平和)を唱えても、爛熟と怠惰により、敵対勢力を助長するだけであろう。一国平和主義などは夢物語でしかない。文化的な爛熟が進む中、市場という戦場を忌避し、労働というものに対して貪欲な意欲を無くし、同時に誇りを見出せなくなりつつある。

先進国と発展途上国が、資本と技術が自由に行きして国際的な格差がかつてないスピードで縮小している。今の新自由主義という経済原理は、正しいとか間違っているとかの以前に、時代の流れのスピードは速めた。新しい経済原理、グランドビジョンというものが有るのかもしれない。しかし、とりあえず世界は市場原理という戦場の真っただ中にある。次に敗北する国を求めて。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2010年3月
主席研究員 山城 満
妖怪が徘徊する新自由主義という妖怪が

「アメリカ・ヨーロッパを妖怪が徘徊する。新自由主義という妖怪が」。今日までのあらゆる社会の歴史はイノベーションの歴史である。そして今、「金融」が恐ろしくイノベーションを蓄積した妖怪となり徘徊する。

1990年代以降、日・米・欧の多くの国々における経済政策面での基盤は、資源配分は市場にまかせるのが最も効率的とする新自由主義経済といえる。

クリントン政権の経済政策により世界中に広められ、その結果、各国で資本移動の自由化をもたらし、新興工業国群の成長、先進各国の経済停滞克服の原動力ともなった。また、日本においても、市場原理、競争原理が政策の根底となっていった。

新自由主義経済の根底に流れる考え方は、経済成長については、技術進歩や労働供給などの実質要因によって決定されるとするものである。そして、政府は、民間の自由闊達なイノベーションを阻害する規制を廃止し、また、干渉を行わない小さな政府であるべきとされた。

金融面では、マネーサプライと経済成長の関係は中立的で、マネーはマネーサプライで増やすのではなく、株式時価総額や証券化商品、すなわち金融資産で増やすという原理が出来上がった。その結果、度々、局地的な金融危機を招き、最終的には、世界同時金融危機の発生にまで暴走したことは確かである。

それでは、イノベーションは悪で、伝統に戻るべきかどうかということは議論を待つまでもない。伝統のなかでも「旧弊」と呼ばれるものは時代によって打破され、イノベーションを繰り返しながら伝統を受け継いできた。今日、伝統と言われるものでも、どれだけイノベーションを蓄積してきたかが繁栄衰微に繋がっている。

「伝統的な政策と金融」「バブル崩壊」という「亡霊」に憑かれている日本。今回の金融危機では、先進国中で最も損害が少ないと言われながら、最も経済の落ち込みの激しい点からして、極めて大きな転機に立たされていることは確かで、今後、「伝統的」といわれる旧弊に立ち戻るとは考えられない。

世界は、さらに、グローバル化と競争化に向かいつつある。中国といういち早く成長を取り戻しそうなパイを取り合う日・米・欧の姿を見ても明らかである。そして、日本は、新興工業国からの輸入による価格の低下(デフレ)と資源価格の上昇(インフレ)というグローバルな難局、また、少子高齢化という国内的な難局に直面しつつあり、史上最大規模の経済対策が打ち出されても、一息ついている時間は無く、新自由主義の功罪を議論する暇もない。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2009年5月
主席研究員 山城 満
時の試練(普遍性と革新性)

古都奈良が、古墳時代から連綿と続く歴史文化を誇るかと言えば少々疑問が残る。古い時代において、都は一度打ち捨てられたら、そこに暮らす人々の多くは、木材を始めとした建築資材ともども新しい都に持って行かれてしまい、その跡には一握りの遺産が残るのみである。

そして、文化といえるものは残らない。なぜかというと、文化を消費する人々がいないからである。ここで消費とは、美術、建築、音楽、食文化、祭りが、そして歴史学・考古学やスポーツ、娯楽が、人の心に届きパトロネージュされることを言う。

数百年、千年を超えるスパンで見ると、奈良の場合、地方勢力としては強大な力を誇った寺社勢力、また、それに帰依する人々だけが文化を支えてきた。

この点、国家の古さでは日本が勝るとも劣らない、パリ、ローマ、フィレンツェ等々古都と呼ばれる多くの都市を擁するヨーロッパの国々についてみてみると、今も、重層的に文化が醸成され、プラハ、ドレスデンなど都市ごと世界遺産に登録されている場合すら散見される。

これらは、強大な権力を持つ王侯が、また、特産品で栄えた資産家などが、その莫大な財産に任せて建立した建物、収集した美術品、保護した音楽が、本物であるが故に普遍性を持つことで後世の人々の心に届き、富豪、近年は政府を中心に、連綿と人々のパトロネージュを受け、風化せず時の試練に耐えてきた。

そして、建物とその収蔵された美術・芸術は世界に発信され、日々、クラシカルなオペラが新しい演出で上演され、名物料理が供され、世界的なファッションブランド、スポーツチームが育つなど重層的な文化が有る。どれも、普遍性を持つ本物であるが、それだけではなく、同時に常に人の心を捉え続けてきた幾重もの革新性と重層性があって時の試練を超え得たといえよう。

古典芸術などは、凍結して保存するものではなく、人々の心に届いたものが、消費(カネを出す)されながら、自ずと残っていくものである。

今、世界的歴史都市奈良は、歴史的な文化に、普遍性・革新性のある新しい文化を重層的に結びつけていく必要があろう。そしてパトロンが、政府(地方政府も含め)であるとすれば、なぜ、普遍的なものに投資を行い、売上(税収)増加に皆が真剣に取り組まないのか。そして、文化を消費する教養が無ければ、なぜもっと大衆化し、教育しないのかということが問われなければならない。また、富豪(=企業)であるとすれば、なぜ、採算の取れる体制とマーケットを整え、呼び込もうとしないのかということも。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2008年10月
主席研究員 山城 満
サブプライム・バブル

サブプライムローン問題で世界が揺れる。

かつて、日本を得意の絶頂から転落させた「バブル経済」とその崩壊は、様々な形で総括されたが、歴史的に今回はどのように説明されるのであろうか。

日本におけるバブル経済の引き金は85年の「プラザ合意」といわれる。当時の米国の対外不均衡解消を名目とした、円高ドル安に向けた協調介入への合意である。

為替は1ドル235円から、1年後には120円台での取引が行われるようになり、ドルの価値はほぼ半減した。

貿易で貯めたドル建て海外資金が一斉に日本に回帰し、マネーがあふれかえる一方で、急速に円高が進行したため低金利(当時としては)の維持を余儀なくされ、その結果、景気は過熱し、株式、不動産を始めとした資産価格も上昇、マネーゲームへと突入した。

世界的な低金利でマネーがあふれる中で生じたサブプライムローン問題は、当時の日本の状況に極めて似ているといわれ、現在、信用不安に対処するため、米国を始めとして再び金利引き下げの動きがみられている。

景気過熱・インフレが懸念される中での、低金利政策とマネーの過剰供給が続けられ、むしろ、本当のサブプライム・バブルは始まったばかりともいえよう。

あくまで1~2年の短期的な動揺と割り切るべきであり(そうでないかもしれないが)、マインドまで過熱ぎみに動揺してしまうことは、さらなる不幸を呼ぶ。勝つ時はリスクと相談しながらゆっくりだが、負ける時はリスク噴出を見てからだから、逃げ遅れた投資家が一斉にやってきてパニックになる。

しかし、収益力の高い欧米の金融コングロマリットは、せいぜい半年分から1年分の利益を失ったに過ぎない。もちろん、痛い損失とはいえるし、欧米の中小金融機関の経営悪化も応急の対応が求められるが。

今や、かつての「発展途上国」「後進国」が、新興工業国として成長するなか、世界経済は大きく膨らんでおり、国際通貨基金(IMF)の予測では、今年の世界経済の成長率は、サブプライムローン問題により下方修正されたものの4.1%と堅調である。

ほんとうに怯えなければならないのは、基軸通貨であるドルがユーロに取って代わられ、「裏庭で印刷されるドル」で買い物ができなくなることを極度に警戒する米国だけであるかもしれない。

「小戦争で1人、2人戦死してヒステリックになり、より大きな戦争を招く」ようなものと言えば言い過ぎだろうが、それくらい冷徹な経済指導がなければ、さらに大きな敵を見逃す可能性は高い。

投稿者:主席研究員 山城 満|投稿日:2008年3月