一般財団法人 南都経済研究所地域経済に確かな情報を提供します
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主任研究員 吉村 謙一
視点を変えて本質を見ることの大切さ

高級旅館やホテルの再生・新規運営を手掛ける星野リゾートが、JR大阪環状線新今宮駅前に地上20階・600室の大型観光ホテルを2022年に開業すると先頃発表した。通天閣や新世界も近い賑やかな場所ではあるが、リゾートという言葉とディープな立地とのギャップに世間の注目が集まったことは記憶に新しい。

立地の意図を問う声に、星野佳路社長は「なぜという質問が多いのが私にとっては意外だ」とし、米国で初めてホテルをチェーン展開したE.M.スタットラー氏の言葉を引いて「ホテル成功に大事なことは『1にロケーション、2にロケーション、3にロケーション』だ」と説明した。曰く、(1)駅や空港からのアクセスの良さ、(2)観光名所へのアクセスの良さ、(3)地域文化を感じられるエリアかどうか、この3点でホテル経営の成否は決まるというのだ。

その意味では今回の計画は、関空にも近く様々な観光名所に行きやすい駅前で、大阪ならではのディープな体験ができる絶好の立地であるといえる。実際海外からの旅行者はいち早く地の利に気づき、新今宮周辺に宿泊する人も近年増えていたという。星野氏の話を聞いて、何事にも先入観を持たず視点を変えて物事の本質を見ることの重要性を再認識した。

ところで、経営不振に陥った旅館やホテルを再生する事業者としては湯快リゾートも有名だが、先日義父や義弟家族と同社が運営する三重県の「鳥羽彩朝楽(さいちょうらく)」に宿泊した。廃業したホテルを再生した施設で設備はやや古いが、伊勢湾を一望する眺めはもちろんのこと温泉やバイキング料理の内容も素晴らしく、これが1人1万円以下という価格ならば大人気なのも当然だと感じた。星野リゾートと同じくこの会社でも、先入観を排し視点を変えてサービスの本質を見直すことで、見事再生を成功させているのだろう。

今回はすべて義父が旅程を考えてくれ、鳥羽湾巡り航海、イルカ島、大王崎灯台、鳥羽水族館と盛り沢山の旅行だったが、3歳の長男に何が一番楽しかったか尋ねると、「(港の突堤で)釣りの仕掛けに餌のオキアミを詰めたこと」だと言う。1歳の次男は本で覚えたのか旅行中も鳥居を見るたび「じんじゃじんじゃ」と繰り返すので、ご要望に応え帰宅後に桜井の大神神社にお参りした。

とはいえ旅行中は二人ともいとこたちとずっと大はしゃぎで大満足の様子。大人の先入観を押し付けず、子供の視点に立って本質を見ることの大切さを教えられた楽しい旅だった。

投稿者:主任研究員 吉村 謙一|投稿日:2017年9月
副主任研究員 吉村 謙一
データに基づくインバウンド対応の重要性

エクスペディア社(米国)は年間6兆円以上の旅行予約を取り扱う世界最大級のOTA(オンライン旅行会社)である。その日本法人、エクスペディアホールディングス社のマイケル・ダイクス社長の講演を聴く機会があった。

自身もマサチューセッツ工科大学や世界的IT企業でキャリアを積んだダイクス氏は、エクスペディア社は「技術」の会社であると定義する。同社はネット上で営業を行う旅行会社でありながら、研究開発費に年間1,000億円もの巨額を投じている。創業以来約20年分のデータの蓄積を基に小さな実験を繰り返し、成功した取組みを横展開することで、全世界の旅行者と地元の宿泊施設をマッチングさせることが同社のビジネスの根幹となっている。

データを基に戦略を立てることの重要性を繰り返し強調するダイクス氏の話の中でも、とくに私の印象に残ったのが「週末在庫戦略を再考すべき」という論点だ。

すなわち、これまで日本の旅館やホテルは短期滞在を前提としたビジネスを展開してきたが、長期滞在が旅のスタイルであるインバウンド(訪日外国人)とのミスマッチが生じている。今国内では日本人宿泊者のニーズが圧倒的に土曜日に集中することで土曜日の在庫(空室)不足が常態化しているが、それにより土日を挟む長期連泊が困難になるためインバウンドが他の宿泊施設に流れてしまい、平日の稼働率向上の機会をみすみす逃している。在庫戦略を再考し、インバウンドの連泊用に土曜日の在庫を直前まで一定量確保しておくことによって、ウイークデーの稼働率を高めることができるというのがダイクス氏の主張である。

実際にエクスペディア社では、同社と契約している国内の宿泊施設に対して、同社のデータを基に土曜日の在庫を直前までインバウンド連泊用に確保する実験を提案しているとのことだ。

「企業の分析力、予測力、提案力は保有データ量に比例する」というダイクス氏の指摘にもあるように、現在進みつつある第4次産業革命ではデータの利活用が付加価値の源泉となることは確実である。一般的に外資系OTAの手数料は国内系に比べ高いということだが、今後も見込まれるインバウンド増加を踏まえ、「インバウンド取り込みや平日稼働率向上等の経営課題に対応するデータやノウハウを入手するための投資」という観点で費用対効果を検討することも必要なのではないだろうか。

投稿者:副主任研究員 吉村 謙一|投稿日:2016年10月
副主任研究員 吉村 謙一
地方創生時代の地域産業ブランド化を考える

「日経トレンディ」2015年12月号で、純米吟醸酒以上の日本酒をリーズナブルに提供する居酒屋「日本酒原価酒蔵」が東京で人気を集めているという記事を目にした。半年で8千人以上が来店するほどの賑わいだそうだが、その店の売れ筋4位に奈良県御所市の油長(ゆうちょう)酒造の酒がランクインしていた。また以前、東京の方から油長酒造の「笊籬採り(いかきとり)」という製法の酒がいかに素晴らしいかという話を聞く機会もあった。酒に弱い私は銘柄の話はさっぱりなのだが、遠く離れた東京でここまで注目される酒を奈良県民の自分が知らないことを恥じ、早速ネットなどで調べてみた。

享保四年(1719年)創業の老舗で近年「風の森」のブランドで知られる油長酒造が、古文書にある清酒造りの技法からヒントを得て7年間の研究開発の末考案した製法が「笊籬採り」である。もろみの中に笊籬状(ザルのようなもの)のスクリーンを沈めてもろみと清酒を分離することで酒が空気に触れないため酸化が起こらず、従来の一般的な製法では酸化により揮散していた香気成分が損なわれない。また多く含まれる炭酸成分がシャンパンを思わせ、世界10か国以上にも輸出されているとのことだ。

昨今の地方創生の議論の中で、有力な製造業があまり存在しない地方部では農林漁業をベースとした6次産業などの地域密着型産業を育成する必要があると指摘されているが、地元の普通の食用米を使用して、高度な技術力で醸造した高付加価値の酒を海外を含む域外に販売する油長酒造のビジネスは、まさに地方創生につながる地域密着型産業活性化の好事例だといえよう。

ものづくりの産業アーキテクチャは大きく「インテグラル(すり合わせ)型」と「モジュラー(組み合わせ)型」の2つに分けられるが、酒造業に限らず今後の地域産業の方向性としては、モジュラー型の低付加価値な量産品ではなく、インテグラル型の高付加価値な高級品を手掛ける企業を生み出して、ブランド化へシフトする必要がある。奈良県にはブランド化に適した材料や技術、ストーリー、歴史が沢山あるにもかかわらず、ブランドとして域外へ十分発信できておらず、今後の伸びしろはむしろ大きい。

このようなことを考えながら、次男が生まれ妻と長男が長い間実家の世話になったので、御礼を兼ねて義父に笊籬採りを一本贈った。奈良の歴史が生み出したブランドはどのような味がするのか、近々御相伴にあずかるのを楽しみにしている。

投稿者:副主任研究員 吉村 謙一|投稿日:2016年2月
副主任研究員 吉村 謙一
「21世紀の資本」が我々に問うもの

フランスの経済学者トマ・ピケティが2013年に著した大著「21世紀の資本」が、昨年の英訳を機に世界で大きな論議を呼んだ。日本でも昨年暮れに邦訳されやはり各方面で話題となっている。

ピケティの主張は、「長期的にみると資本収益率は経済成長率よりも大きい。その結果、富の集中が起こり資本家へ蓄積される。そして富が公平に分配されないことで社会や経済が不安定となる」と要約できる。また彼は、「ここ300年で格差が縮小したのは第一次世界大戦から1970年代までの期間だけで、しかもその縮小は戦争や大不況が原因だった」と豊富な資料を示して論証する。

要するに、経済成長に伴う所得拡大よりも株や土地などへの投資から得られるリターンのほうが大きいため、資本力に勝る富裕層はますます富を大きくし格差は拡大するという話で、感覚的にはこれまでも誰もが何となく感じていたロジックであろう。それを世界20か国以上の膨大なデータの収集や分析により理論的に実証したことが、この本の画期的な点といえる。

日本の貧困率は主要先進国ではアメリカに次いで2番目に高く、格差拡大は大きな社会問題となってきている。欧米のように極端な超富裕層が目立つわけではないが、非正規雇用の増加などに起因する所得格差による労働者間の格差の広がりは事実であり、社会の安定を図るためにも対策は急を要する。

この本の出版を機に富裕層の側からも危機感の声が出始めている。同書の特集を組んだあるテレビ番組で、1,000億円の資産を持つアメリカの経営者が「(上位1%の富裕層が国の富全体の2割を手にする今の同国では)わずかな富裕層だけが金持ちになり、中間層はますます貧しくなっている。 長い目で見れば、中間層が活性化しなければ私たちのビジネスも立ちゆかなくなる」と格差是正の必要性を強く訴えていたのが非常に印象的だった。

格差を是正するアイデアとして、ピケティは一種の富裕税を世界的に導入することを提案している。ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に行き来するグローバル経済下ではこの提案の実現が難しいことを彼自身も認めているが、それでも政治が積極的に関与せねば世界が直面する格差問題の解決は図れないだろう。もちろん日本もその例外ではない。皆が安心して暮らせる安定した社会をどのように作っていくか、この本は我々に重い問いを投げかけている。

投稿者:副主任研究員 吉村 謙一|投稿日:2015年2月
副主任研究員 吉村 謙一
世界のきらめきを切り取る言葉

87歳になる妻の祖父を囲む敬老旅行で、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドを訪れた。義弟一家と我が家をあわせ、0歳児二人と3歳児一人を含む総勢八人のにぎやかな道中だった。私は初めての訪問だったが、動物園、水族館、遊園地とすべて揃った賑やかなテーマパークで実に楽しい時間を過ごすことができた。

中でも私の印象に残ったのが、「マリンライブ」と呼ばれるイルカ・クジラショーだ。水面上のステージに一頭のオキゴンドウが自らはい上がり、体を横たえぐるぐると大車輪のように円を描いて回り出す。二十頭近いイルカが動きを合わせ一糸乱れぬ連続ジャンプを見せる様は壮観で、まるで精巧なからくり仕掛けのようだ。静かな水面から何の前触れも無くいとも簡単に空高く舞い上がるイルカやクジラたちに、私はある種の神々しさすら感じた。

聞くところによると全国でもトップレベルと評される質の高いショーだそうだが、いったいどのように調教したのだろうという驚きとともに、それら一連の研ぎ澄まされた、きらめく優美な動きそのものに私は息をひそめて見とれていた。そしてその時私は、50年前の東京五輪で体操競技を観戦した三島由紀夫が当時の新聞に寄せた文章の印象的な一節を思い出していた。

「極度の柔らかさから極度の緊張へ、空虚から突然の充実へ、力は自在に変転して、とどまるところを知らない。もっともバランスと力を要する演技が、もっとも優美な静かな形で示される。そのとき、われわれは、肉体というよりも、人間の精神が演じる無上の形を見る」(『完全性への夢-体操』より)。件のイルカやクジラの動きに私が見たのもこの「精神が演じる無上の形」なのだろう。まさに彼らの力は自在に変転して水の上を軽やかに跳ね回り、また同時に優美で静かな、哲学的な気高さすら感じさせる佇まいであった。作家の鋭い感性が東京五輪の光景を切り取った言葉を触媒として、私の眼前のプールは姿を変えて見えた。

この眼に映る世界をどのように認識し表現するかの方法論は人の数だけ存在し千差万別だ。他者の意外な見方が鮮やかに世界を切り取り、自分の知らない新しい角度から世界がきらめきを見せることもある。世界はありのままの姿でそこに存在するようでいて、切り取り方次第でいともたやすく姿を変えるのだ。

宙を舞うイルカを5か月の息子も見ていたが、何を思うのか当然うかがい知ることはできない。彼にとって世界はどのようであるのか、彼が世界のきらめきをどのように切り取るのか、早くその言葉で聞きたいと私は心待ちにしている。

投稿者:副主任研究員 吉村 謙一|投稿日:2014年4月
副主任研究員 吉村 謙一
相差への小旅行

正月休みに、三重県の南鳥羽にある小さな港町、相差(おうさつ)を妻と訪れた。この町は日本一多い百数十人の海女が住むことでも有名で、「宿で食べた海鮮料理が素晴らしかった」と親戚から聞き、以前から行ってみたいと思っていた。

朝9時に車で家を出て名阪国道から伊勢自動車道に入り、午前中には鳥羽港へ。志摩半島のパールロード沿いの小屋で焼き立ての牡蠣を食べ、周辺を気の赴くまま寄り道しながら宿に到着した。

電車で行くと鳥羽駅からバスで約40分かかり、車以外の交通アクセスはお世辞にもいいとは言えない相差だが、小ぢんまりとした町内をとくに女性の観光客が多く往来し、駐車場にも首都圏ナンバーなど遠方の車が散見される。

この活気を生んだ大きな源の一つが、「石神さん」の愛称で親しまれる小さなお社だ。元々は氏神の神明神社参道にたたずむ高さ約50センチの石で、地元では古来、「女性の願いごとをなんでも一つかなえてくれる」神様として海女の深い信仰を集めてきた。

隠れた地域資源を観光名所として売り出そうとしていた地元と鳥羽商工会議所がこの話に目をつけ、2002年に石を御神体として社殿を建て、「願いが叶うご利益コース」としてPRを始めた。その後、近くに「相差海女文化資料館」を開設し、参道にロマンチックな石灯籠を整備。古民家を改装した「海女の家 五左屋(ござや)」もオープンさせ、石神さんや海女にちなむお土産販売も始めた。

こうした取り組みが実を結び、近年のパワースポットブームも相まって多くの女性誌や旅行誌、テレビ番組等でも紹介され、石神さんへの訪問客数は平成22年が12万6千人、23年が16万4千人、24年が18万3千人とまさに人気はうなぎ登り。資料館には、結婚や出産の夢がかなった女性芸能人がプライベートでお礼参りに訪れたときの写真などが多く飾ってあった。

石神さんのお守りには、海女が魔よけに身に着けるセーマン(星)とドーマン(格子柄)が描かれている。セーマンは陰陽師の安倍清明に、ドーマンはそのライバルの蘆屋道満(あしやどうまん)に由来するとされるが、そのデザインにも由緒にも、どこか神秘的な雰囲気が漂う。

神秘的な由来があるパワースポットを女性向け観光地として上手くPRした相差の成功例は、奈良でもぜひ見習うべきと感じた。

石神さんでは大勢の女性参拝客に交じって妻も熱心に何やら願いごとをし、男である私はその脇で小さく控えめにお参りをした。そして雄大な太平洋を望む海沿いの遊歩道を散策して、温泉を引いた宿の湯につかり、お待ちかねの料理を食べた。お腹いっぱいで動けなくなるほどの量の美味しい海の幸に大満足した。

自宅への帰路、伊勢神宮にも参拝したが、ここでは何はばかることなく私も堂々とお参りをした。美味しい料理と港町の情緒とすがすがしい神威に触れた、いい正月休みだった。

女性参拝客で
いつもにぎわう「石神さん」
お守り
築80年の古民家を改装した
「海女の家 五左屋」


〔写真提供:相差町内会〕
投稿者:副主任研究員 吉村 謙一|投稿日:2013年5月
研究員 吉村 謙一
模倣から生まれるイノベーション

今年8月20日のニューヨーク株式市場で、米電子機器大手アップルの株式時価総額が6,235億ドル(約49兆5千億円)に達し、米マイクロソフトが1999年に記録した6,205億ドルを超え、上場企業の史上最高を更新した。

この強大なアップルを一代で築き上げた故スティーブ・ジョブズ氏に、「素晴らしいアイデアを盗むことに我々は恥を感じてこなかった」という有名な発言がある。

例えば、一時代を画したパソコン『マッキントッシュ』(84年発表)の革新的な特長であるマウスやGUI(視覚的・直観的な操作方法)は、米ゼロックスの研究所でそのアイデアを目にしたジョブズ氏が、洗練された形に製品化したものだった。

彼は模倣について肯定的で、模倣からこそ独創性が生まれるとの信念を持っていた。創造とは無から有を作り出すことではなく、模倣により既存の事物を結び付け新しい価値を生み出すことだという真理を、誰よりも理解していた。

この「模倣からイノベーションが生まれる」というテーマを豊富な事例で論じた『模倣の経営学―偉大なる会社はマネから生まれる―』(井上達彦著・日経BP社)によると、「模倣は、高度なインテリジェンスを要する能動的で創造的な行為」であり、「模倣能力こそが競争力の源泉」なのだという。

「学ぶ」の語源が「真似(まね)ぶ」であるように、古来手本を写すことは学習の基本であったのに、近年日本企業の間で「イノベーションは模倣なきところから生まれる」という誤解やおごりが蔓延しているとも警鐘を鳴らす。

ヤマト運輸は「取扱いメニューの絞り込み」というアイデアを牛丼の吉野家から学んだ。トヨタ自動車のかんばん方式は、スーパーマーケットの「必要なものを、必要な時に、必要なだけ」購入できる仕組みにヒントを得ている。これらの事例企業やアップルに共通するのは、既存のアイデアを模倣・応用して一般大衆に受け入れられる商品やサービスを作ったという点だ。

見せかけの模倣ではなく、先達の本質的な部分に倣いつつ、自らの文脈に合わせて変更を加え独自性を生み出すというこのスキームは、開発力の弱い中小企業には最適の戦略であるともいえる。

敏感にアンテナを張り、異業種を含むあらゆるものに接する際に「自分ならばこうするのに」と考えて創造的・発展的模倣に取り組むことが、大きなイノベーションにつながる可能性がある。

投稿者:研究員 吉村 謙一|投稿日:2012年9月
研究員 吉村 謙一
TPP参加問題をめぐって

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉参加問題については、その是非をめぐりまさに国論を二分する議論が現在起こっているが、そうした中、11月21日の産経新聞朝刊に京都大学教授・佐伯啓思氏の『TPP交渉参加はなぜ危険か』と題する論考が掲載された。それを要約するとこうである。

「生産物は、多くの場合、市場の自由競争に委ねてもよい。しかし、(広義の)生産要素(労働、資本、資源、食糧、医療、教育、交通等)は容易には市場化できないし、ある程度規制されねばならない。なぜならば、生産要素が不安定化すると生産体系まで不安定化するからだ。生産要素を市場の自由取引に委ね市場化すると、われわれの社会生活の安定性を大きく揺るがしてしまう」

「今回のTPPで問題となるのは、まさにこの"生産要素の市場化"であり、労働、投資・金融、農業、医療、公共事業(政府調達)といった争点はすべて"生産要素"に関わる。人間の社会生活に密接に関連した生産要素や公共的資産を自由な市場取引から保護することは、決して特異で閉鎖的な経済観とは思われない」

この論考のキーワードとなっている"生産要素の市場化"という視点に立って整理すると、TPP参加問題の本質は、工業製品や農産物などの「生産物」が関税撤廃によって受けるメリット・デメリットよりも、むしろ我々の社会生活の根幹を支える「生産要素」が市場化により非常に不安定な状態に置かれ、安定的な生活基盤や社会規範が揺るがされかねない点にあるのかもしれない。

一方で、アジア太平洋地域における東アジアや米国とわが国との関係性においては、微妙なバランスを取りながら政治経済的な位置取りを判断していかざるを得ないという外部要因も大きく、TPPに不参加とした場合に果たして今後わが国が取りうる有効な選択肢が存在するかといえば、やはり見通しは非常に不透明である。

複雑な国際政治情勢の中でTPP参加が不可避であるのならば、TPPの枠組みの中でいかにして生産要素の安定を図りわが国の便益を高めていくのか、世界で最も早く超高齢化社会を迎えるわが国が今後何に生活の豊かさを求めどのような社会を構築していくのか、先進国での産業主導型成長モデルが限界に近付いているとされる中でわが国が今後どのような新しい価値を世界に提示していくのか、これら長期的な戦略についての国民的な議論をさらに深めていくことが必要であろう。

投稿者:研究員 吉村 謙一|投稿日:2011年12月
研究員 吉村 謙一
他人への「贈り物」が世界を変える

現在中東・アフリカ諸国に広がる民主化革命でも大きな役割を果たしたとされ、全世界で5億人以上のユーザーを擁する『フェイスブック』。実名の個人をインターネット上で互いにつなげ情報を簡単に交換しあえるようにしたこの巨大なSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を創設したマーク・ザッカーバーグ氏が、「人々が無償で何かを提供しあう贈与経済こそが、市場経済に代わりうる選択肢だ」という興味深い発言をしている。

"贈与経済"とは、貨幣とモノとを交換する"市場経済"に対比して用いられる概念で、共同体の中でモノやサービスを無償で与えあう経済システムを指す。現在の日本でも中元や歳暮といった贈与経済的な概念は生き残っているが、市場経済が発達する以前は、人々は互いに贈与をすることで共同体におけるコミュニケーションの維持や富の再分配などの経済活動を行ってきた。

ザッカーバーグ氏は言う。「ぼくが何かを供出して誰かにあげると、義務感からか寛容さからか、その人はお返しに何かをぼくにくれる。文化全体がこの相互贈与の枠組みの上で成り立っている」(『フェイスブック 若き天才の野望』日経BP社刊より)。フェイスブック上でやり取りされるあらゆるアイデアや情報は、ある意味すべてが他人への「贈り物」であり、それが世界を変える原動力になるというのだ。

市場経済では、世界と個人との結びつきは、基本的に貨幣を媒介とした「顔の見えない」巨大な市場取引によって成立している。消費社会の発展に伴い社会から疎外され孤立した個人が、再び贈与経済的な概念を重視して互いに「顔の見える関係」でつながることを取り戻そうとする欲求が、今日のフェイスブックの爆発的な隆盛を招いているのかもしれない。人間は本来的に、他者との関わり合いの中でしか生きられない社会的生物なのだ。

人々のつながりの価値を再評価する動きは、ネット上だけではなく我々の身近な地域社会でも起きている。例えば昨年の"平城遷都1300年祭"で好評だったボランティアガイド。彼らに話を聞くと、他人から必要とされ地域社会のために自分が役立っているという充実感が、何物にも代えがたい喜びだったという。

自分に経済的利得がなくても他人のために何か役立つことをしたいという考え方は、経済合理性一辺倒に染まった戦後社会への反省とともに、いま世の中のあちこちに静かに広がっている。

他人への「贈り物」で世界を変えようとしているフェイスブックの方法論が示唆するところは大きい。我々もまずは身近な人々とのつながりを重視し、互いにいろんな意味での「贈り物」をしあうような新しい地域社会のあり方を考えていく必要があるのではないだろうか。

投稿者:研究員 吉村 謙一|投稿日:2011年3月