一般財団法人 南都経済研究所地域経済に確かな情報を提供します
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参与研究員 井阪 英夫

「高齢者」を何と呼ぶ?

昨年6月、めでたく(?)還暦を迎えた。そして定年退職。本来ならば、これまでのようにあくせく働く仕事から解放され、悠々自適の気ままな人生を歩む、といきたいところ。しかし、私の生まれ年から年金支給開始年齢が61歳へと1年先延ばしとなり、現在、生活の糧を稼ぐためもあり、会社の「シニアスタッフ制度」という継続雇用制度のご厄介になっている。これで私も名実ともに「シニア」の仲間入りということになるのだろうか。

さて、この「シニア」という言葉、高齢者の呼称として定着した感があるようだが、そう呼ばれる当の「高齢者」にはあまり評判は良くないようだ。ある民間調査会社の調査によると、60歳以上の48%が「(シニアは)ふさわしくない呼び方」と回答している。そもそも、60歳は「高齢者」なのだろうか。60歳以上を「高齢者」として「シニア」と呼ぶことに抵抗を感じるのは私だけではないようだ。

高齢層のお客様が多い百貨店などではそのあたりの消費者心理を酌んで「シニア」や年齢を感じさせる表記は極力使わないようにしているという。

職業柄、日頃、統計に接することが多い。統計上は65歳以上を「高齢者」と定義するのが一般的だ。しかし、いまの65歳は昔の65歳と比べたら若い。1960年の平均寿命は男が65.3歳、女が70.2歳だったが、直近の2012年では男が79.9歳、女が86.4歳と男女とも15年ほど延びている。今や65歳といえども人生の単なる通過点だ。政府でも昨年から65歳以上を一律に「高齢者」と位置づける現行の定義の見直しに入っている。

それでは、高齢を意識させない適当な呼称はないものだろうか。これまでも「シルバー世代」「熟年」「実年」「プラチナ世代」などいろいろな呼称が登場してきたが、どれも定着するには至っていない。流行りの「アラサー」「アラフォー」にあやかってできた「アラ還」や流通大手のイオンが使っている「グランドジェネレーション」も「高齢者」の代替呼称として決定打にはなり得ていない。

「高齢者」をどう呼んだらいいのかは、予想以上に困難な作業なのかもしれない。自分の年代がどう呼ばれるかは気になるところだが、「高齢者」を感じさせない若々しさをどうやって保つ(取り戻す?)かを考えた方がいいのかもしれない。

投稿者:参与研究員 井阪 英夫|投稿日:2014年5月
参与研究員 井阪 英夫

うなぎの危機に想う

日本には夏バテ防止に古くから暑い夏場にうなぎを食べる習慣がある。うなぎにはたんぱく質や脂質、ビタミンA、B群、D、E、カルシウム、鉄分など栄養が豊富に含まれており、生活の知恵としてもうなずけるものである。

ところが、最近そのうなぎが激減している。今年の2月には環境省がニホンウナギを絶滅危惧種に指定。世界的な自然保護団体である国際自然保護連合(IUCN)でも、ニホンウナギをレッドリストに載せるかどうかについて検討に入ったという。

現在、日本人が食べているうなぎの99%以上は養殖物だ。養殖といっても卵を孵化して成魚にするのではない。天然の稚魚であるシラスウナギを捕まえこれにエサを与えて大きくしているのだ。そのシラスウナギの漁獲量が急速に減っている。1963年には年間232トンとれたが年々少なくなり、今年はついに5.2トンと過去最低を記録してしまった。

ニホンウナギはマリアナ海溝付近で生まれ、日本だけでなく、台湾、中国にもたどり着くので足りない分はそうした地域から輸入し補充されてきた。これに呼応してシラスウナギの国内での平均取引価格は今年は1㎏あたり248万円と5年前から3倍以上に跳ね上がっている。これでは商売にならないと、養殖業者の中には、今年の養殖を見送るところが続出している。

ここまでシラスウナギの漁獲量が減少したのは乱獲が主因である。かつては高級品だったうなぎも養殖技術が開発され産地も国内だけでなく海外にも広がっている。うなぎの蒲焼きは専門店だけでなくスーパーでも売られ、生産は急拡大した。需要をまかなうために行われたのは、シラスウナギの争奪戦。日本だけでなく、台湾や中国でも競ってシラスウナギを捕獲するようになった。それだけでなく卵を産む親うなぎも漁業の重要な対象とされ、乱獲が進み絶滅危惧種に挙げられるまで減少したということである。

かつてはうなぎは祝い事など「ハレの日」にしか食べられない高級なごちそうだったが、近年は手軽に味わえる大衆魚の仲間入りし、日常の食卓にものぼるようになった。だが、今後は昔に戻って居住まいを正して食べることが必要な時代が到来しているようだ。価格面からはもちろんのこと、生物多様性保護の観点からという意味においても・・・・。  

投稿者:参与研究員 井阪 英夫|投稿日:2013年8月
事務局長 井阪 英夫

「40歳定年制」は時代の要請?

来年の4月から厚生年金支給開始年齢が1歳引き上げられ61歳となる。これと同時に、当面61歳までの希望者の継続雇用が義務化される。

そんななか、「40歳定年制」なるものが今年7月に、政府の国家戦略会議のもとに設置されていた4つの分科会のひとつ「繁栄のフロンティア部会」から出てきた。

同部会報告書によると、生涯の間で2~3回くらいの転職を想定し、1回目は学校を卒業し就職してからちょうど20年くらい経った40歳前後、2回目がその20年後の60歳前後ということで、1回目の40歳を定年にしようというものだ。

昨今、技術革新のスピードがますます速くなり、価値観の多様化が格段に進む中にあって、1人の人間が学校で学んだ知識や技術を基に30年も40年もずっと同じ会社で働き続けることは難しくなっている。そもそも勤務先の企業が30年以上も持続するとは限らない。

それなら、20年を一つの区切りとして「学び直し」の機会を設け、これまで不足していた知識を補充したり、新しい技術を身につけたりすることで、社会環境の変化に対応できる能力を蓄え、次の「20年」に向かって走り出す。こうすることにより、65歳までと云わず、75歳あるいはそれ以上まで働くことが可能になるというのである。

現在、定年年齢の引き上げが進んでいるが、冒頭のような制度改正は、一つの企業内に人材を固定化させ、企業内の新陳代謝を阻害し、企業の競争力を低下させるので、かえって雇用の減少につながる恐れがある。これに対し、「40歳定年制」は人材の再活性化になるとともに、企業にとっても戦力強化になる。さらに、雇用の流動化が進むことで、衰退産業から成長産業への就業者の移動も活発化する。これまでの雇用延長一辺倒の考え方に、風穴を開けるものとして注目に値するのではないだろうか。

もちろん、40歳くらいで退職したら、再就職なんかできないのではないか、再就職までの生活は、子育てはどうするのか、という不安や疑問も出てくるだろう。また、一つの会社で勤め上げてこそ職業人生が全うできるのだ、という反論も予想される。

ただ、年を重ねても働き続けていくためには、あくまでも働く意欲に加えて企業に相応の貢献ができてこそ。言い換えれば、それまでの職業人生で培ってきた人間性や仕事のスキルだけでは不十分で、時代の変化に即応した新しい知識や考え方が不可欠となってくる。  

投稿者:事務局長 井阪 英夫|投稿日:2012年11月
事務局長 井阪 英夫

「31年ぶりの貿易赤字」に思う

財務省が1月25日に発表した貿易統計によると、平成23年の我が国の貿易収支は31年ぶりの赤字に転落した。輸出は、1年前と比べて2.7%減少。一方、輸入は、12.0%と大幅に増加した。この結果、輸出から輸入を差し引いた貿易収支は、およそ、2兆5000億円の赤字となった。

なぜ、これまで30年も続いてきた貿易黒字が、一気に赤字になってしまったかというと、東日本大震災の影響で自動車などの生産がストップしたことにより輸出が減少。加えて、原子力発電所の運転が相次いでとまったため、火力発電所で使う液化天然ガスの輸入が急増したことなどによる。

ただ、この赤字、震災に伴う一時的な現象と考えては早計だ。中長期的には貿易赤字は定着し、むしろ拡大していくと考えた方がいいだろう。

なぜかというと、まず、輸出の増加はそれほど簡単ではない。歴史的な円高や、新興国の台頭で、日本の輸出を取り巻く構造が大きく変わっているからだ。製造業は、競争力を失い、主戦場の新興国市場では、もはや、国内でつくって輸出していては、勝ち目はない。輸入についても、長期的に増える傾向は避けられそうにない。というのも、製品の逆輸入に加え、日本の輸入全体の3分の1を占める、原油や天然ガスなど、エネルギーの価格が値上がりしているからだ。

ただ、貿易赤字が定着するとしても、「所得収支(日本が海外で稼いでいるおカネ)」が10兆円を超えており、当面は貿易赤字を補えるから、大騒ぎするには及ばない。  それよりも、今、心配なのは、今後、日本が何で稼ぎ、国内の雇用を支えるかだ。製造業の雇用者数は、92年のピークと比べて、およそ400万人減っている。このまま輸出企業の力が弱まっていくと、雇用の減少はさらに加速することになりかねない。

では、どうすればいいのか。まず、力のある製造業は、技術やアイディアに磨きをかけて、高くても売れる製品を国内で開発・生産し、ものづくり日本の土台を守り続けていく。一方、新興国の企業と価格競争にしかならない製品については、むしろ、円高を利用して海外に積極的に進出する。そして、そこで、利益を増やして日本に戻し、国内の研究開発への投資を増やしたり、本社機能を拡大したりする。そういう循環をつくることができれば、ある程度、雇用を守り、賃金を増やすこともできるだろう。

その上で、介護や医療、農業、再生可能エネルギーなどの内需型の新たな産業を育成する。そこで雇用の場をつくり、製造業から、そちらに橋渡ししていくことを考えていきたい。  高齢化が進む中、このままでは日本経済は活力を失う一方。豊かな生活を守るためにも、貿易赤字に転落した事態を重く受け止め、政府も企業も対応を急いでほしいと思う。

投稿者:事務局長 井阪 英夫|投稿日:2012年3月
事務局長 井阪 英夫

東日本大震災に想う

3月に東北・関東地方を襲った東日本大震災は、マグニチュード9.0というまさに巨大地震だった。1960年のチリ地震(M9.5)、64年のアラスカ地震(M9.2)、2008年のインドネシア・スマトラ沖地震(M9.1)に次いで、観測史上世界4番目の規模である。震源域も広範囲で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmにも及んだ。

地震の規模もさることながら、直後に襲った巨大津波、原子力発電所の事故(放射能漏れ)とそれに伴う農水産物や工業製品への影響、加えて止めどなく広がる風評被害等々、連鎖的に被害が拡大しており、その被害の大きさ、影響範囲は未だ全体像がつかみ切れていない。

改めて、思い知らされたことが2つある。ひとつは、自然の猛威の凄まじさ。巨大津波はいとも簡単に家やビルさえも根こそぎに払っていく。三陸海岸には、これまで幾度も津波に傷めつけられてきた歴史がある。そのため、海岸沿いには堅固な防波堤を築いてきた。しかし、今回の巨大津波はそれすらも破壊してしまった。備えあれども憂いはやってきたのである。人間は思い上がっていたわけではないにせよ、自然の脅威の前にもう一度ひざまずいて向き合っていかなければならないことを思い知らされた。

もうひとつは、現代の文化的で快適な生活の基盤であり、ライフラインの重要な要素である電気がきわめて脆い生産基盤のもと配給されていたということだ。原子力発電所のたった数基が稼動不能に陥っただけで首都圏の電気のピーク需要をまかなえなくなるという。さらには、電力に余裕のある他の電力会社が救援しようとしても、サイクル数(50Hz⇔60Hz)の違いという東西の壁があり互いに融通することすらままならない。一つの国に電気が2種類あるというのは世界でもほとんど例がない。

気象庁の分析によると、今回の東日本大震災は、過去には別々に活動してきた3つの地震断層がほぼ同時に動いて起こったものだという。西日本においても、東海・東南海・南海の3つの大きな地震断層があり、これらが連動して巨大地震、巨大津波が発生する恐れは年々大きくなっている。

今回の大震災は、人知を超える自然の脅威について再認識を迫るとともに、今後の原発のあり方、電気をはじめライフラインの危機管理のあり方について根本的に問い直せというメッセージを我々に突きつけたものと深く受け止めなければならない。

投稿者:事務局長 井阪 英夫|投稿日:2011年5月
事務局長 井阪 英夫

食料自給問題を国民的テーマに!

農林水産省が8月に2009年度の食料自給率を発表したが、これによるとわが国の食料自給率は前年度よりも1ポイント低い40%となった。低下の主因は、コメの消費量や小麦の生産量の減少だったという。生活の洋風化で、ほぼ100%国内で調達できるコメは消費量が30年前と比べると25%程度減少し、その一方で畜産物や油脂類の摂取は増加している。さぞや、食料自給率は低下の一途をたどっているかと思ったが、ここ10年以上は40%前後で推移している。

ということは、我々の体のエネルギーはその60%が海外の食料に依存しているということになる。いま流行りの「原産国表示ルール」に基づくと、日本人は「日本産」とはいえないことになるのだろうか。

わが国の食料自給率は、先進国中でも最低の水準である。農業国であるオーストラリアやカナダは言うに及ばず、アメリカやフランスも食料自給率は100%を超えている。同じ島国のイギリスや山間のスイスでさえもわが国を10~20ポイントも上回っている。

国土が狭くて農業生産性が低いので必然的に生産コストが高く、安い食料を海外から輸入するので、わが国の食料自給率が低くなるのは致し方ないと思われるかもしれない。しかし、実はアメリカの食料生産コストは、コメではタイやベトナムよりも高く、酪農ではオーストラリアやニュージーランドよりも高い。それでありながら食料輸出国である。食料自給を重要な国家戦略と位置付けており、高関税・価格支持・輸出補助金など大きな財政負担を抱えながら、食料を世界をコントロールするための道具と位置付けて世界に輸出している。

政府は今年3月に閣議決定した「食料・農業・農村基本計画」で、食料自給率を20年度に今よりも10ポイント高い50%に引き上げるという。その中核に農家戸別所得補償を据え、先行導入したコメに加え、11年度からは大豆や小麦などにも拡大する予定だ。

食料自給率は、自然条件や土地条件によって必然的に決められる運命的な数字ではなく、国の産業政策のあり方、ひいては国の安全保障にもかかわる問題である。普天間基地の移設問題ほど緊急性はないかもしれないが、生活への影響度合いはより直接的である。今後も国民の間で学習と議論を続けていくべき身近で重要なテーマの一つであることは間違いない。

投稿者:事務局長 井阪 英夫|投稿日:2010年10月
事務局長 井阪 英夫
強者の責任

トヨタ自動車が品質問題で揺れている。一昨年、924万台の生産台数で悲願の世界第一位となったトヨタ自動車だが、米欧中でのリコール(回収・無償修理)や自主回収で、延べ1,000万台と年間生産台数を上回る改修を余儀なくされている。そればかりか、米工場では一時、主力車種の生産停止、さらには昨年発売したハイブリッド車「プリウス」でもリコールに追い込まれている。

「ものづくりニッポン」の代表企業に何が起きたのだろうか。同社は米国で、安全性、経済性(価格、燃費)、基本性能、環境適合性などで圧倒的に米国車を凌ぐということで売上げを伸ばしてきた。それが一転して非難の的(まと)と化している。その原因は一言で言えば「品質の劣化」だろうが、安易に単純化できない「複合的なもの」との論調も多い。同社は「急速な海外展開」「電子化、電動化などによる複雑化」などを進める中で「組織風土の緩み」が進行、それに「トヨタ自身の判断ミス」が加わりこれまで隠れていた負の要因が一気に吹き出たというところだろうか。世界市場では後発メーカーとして登場したトヨタは、いまや自他共に認めるフロントランナーである。プリウスのブレーキ不具合を「感覚の問題」ととらえていたトヨタに「慢心」という悪魔の芽が芽生えていなかっただろうか。

大相撲本場所中の暴力ざたで横綱朝青龍が2月に引退表明をした。優勝回数は歴代3位の25回、年間6場所完全制覇という輝かしい戦歴を持つ、大相撲協会の看板力士だけにその引退はあまりに惜しい。1997年に16歳でモンゴルから来日し、99年に大相撲に入門。2002年名古屋場所で大関へ、2003年の初場所には横綱へとスピード出世している。

「圧倒的な強さ」という面ではトヨタとどこか相通ずる。さらに、「スピード出世」も急拡大したトヨタに似る。横綱の品格を問われた朝青龍だが、その心の中には「強ければいい」という「慢心」が潜んでいたであろうことは想像に難くない。

トヨタが「強者なら許される」と考えていたとは思えないが、「強者」には社会的責任や品格が問われるのは世の常。「強者の論理」ではなく、「強者」であるがゆえの「社会的責任」「説明責任」が問われる。それが果たせなければ退場宣告は避けられない。

投稿者:事務局長 井阪 英夫|投稿日:2010年3月
事務局長 井阪 英夫
DNAとRNA

地球上の生命には、二つの潮流があるという。一つはDNAを遺伝子とする人間を含む大多数の動植物群。もう一つは、今まさに世界を脅かしている新型インフルエンザウイルスのような、RNAを遺伝子とする生物である。

生命の設計図である遺伝子が違うことで、両者は生き残りの戦略を全く異にする。DNAとRNAは構造も機能もよく似ているのに、安定性には雲泥の差がある。DNAは極めて安定していて、変異は多様性として内部にため込み、やたらに様変わりはしない。その結果、ゆっくり進化してきた。

一方、RNAは不安定で、ころころと変異する。よく言えば融通むげ、安定したライフスタイルを持たず、変わり身の早さで世の中を渡っていく。豚の体内でひっそり引きこもっていたウイルスが、ある時突然、人にも感染するように変身し、世界に広がったりする。

19年前に起こった足利事件では、現場に残された犯人の体液のDNA鑑定が犯人特定の有力な物証とされたが、今回の再鑑定で体液と被告のDNA型は「一致しない」とされ、異例の「受刑者」即刻釈放へとつながった。当初のDNA鑑定技術の未熟さが冤罪を生むという大きな過ちがあったものの、その後の急速な技術進展により無実を証明する物証ともなった。こうしたことが可能となったのは、DNAに安定性があればこそである。

話は変わるが、最近の若者の間では国内旅行が静かなブームだという。終身雇用が前提だった就労形態が崩れ、将来の年金受け取りもままならない。仕事に追われ、休暇は取れず、金銭的なゆとりもない若者たちは海外旅行をしない。しかし、そんな悲観的な状況からではなく、積極的に国内旅行を楽しむ若者が増えている。それも、東京などの大都市よりもむしろ京都や奈良のような歴史観や宗教観を刺激する場所を求めての旅である。若者にとっては、日本そのものが未知の世界と映り、新鮮な感動を呼んでいる。

奈良には、歴史遺産や仏教文化だけでなく、生活文化、自然風景など変化せず生き残った日本人のDNAがいっぱいある。いま、若者が国内旅行に求めているのは、日本の歴史に触れることができる場所。言い換えれば、日本人のDNAそのものではないだろうか。若者にとっては、日本人のDNAに触れる旅は、海外と同様異文化体験である。奈良にとっては、存在意義をアピールする絶好のチャンス。日本人のDNAを若者にうまく発信できるかどうかが奈良の将来を占うものともいえる。奈良本来の魅力を研ぎ澄ます努力が求められる。RNAのような変化は奈良らしくないし、決して奈良のためにはならない。

投稿者:事務局長 井阪 英夫|投稿日:2009年8月
事務局長 井阪 英夫
やっぱり、奈良は寝倒れ?

仕事柄、情報収集のため勉強会や各種のセミナーに顔を出す機会が多い。最近参加したいくつかのセミナーで奈良県の県民性について、改めて考えさせられた。

一つは、地元奈良の「題材」を使ってマーケティング的発想で活性化を考えるというセミナーでの議論。「題材」を何にするかということで、元気のない奈良の地場産業を取り上げてはどうかということになった。靴下をはじめ奈良の繊維産業は中国から安い製品が大量に入ってきて苦況にさらされている。

「奈良の製品は大企業の下請でブランドがないからダメなのだ」「奈良のブランドを考えてはどうか」「いや、そもそも奈良の企業経営者はやる気がないのではないか」

そこで引き合いに出されたのが「奈良の寝倒れ」。奈良は土地が豊かで、温暖で天災も少なかったから、ノンビリしている人が多い。寝てばかりいて、何もしないから身上(しんしょう)をつぶすという例え。いまの苦境の原因は、下請の中小企業から脱却できないというよりは、消極的な県民性に由来するというのである。

もう一つは、奈良の観光に関するセミナーでの議論。奈良には大仏様があり、全国各地から観光客がやってきてくれるので、みやげ物屋や旅館はあまり努力しなくても経営が成り立つ。いわゆる「大仏商法」である。観光客にリピーターとして何回も奈良に来てもらうことを考えてないから、みやげ物もサービスもよくない。それがたた祟って奈良の観光客は毎年減り続けている。「大仏商法」からの脱皮が必要だ。奇しくも、こちらでも奈良県民の消極的な一面が問題になった。

私は、2つの議論を聞いて言い知れぬ脱力感を覚えた。どちらも、いままで何度も言われてきたことであり、今さら驚くことではない。個別に見ると、奈良にも元気印の企業はたくさんある。本誌でいくつもの企業を紹介してきた。しかし、奈良の活性化を考えるという場合、いまだにこうした議論から始めなければならないというのは非常に残念である。

日本人の心のふるさとともいわれる奈良県は、歴史の古さ、豊かさでは全国でも指折りの県である。個人消費や教育・文化面など個人指標でも優位性を誇っている。しかし、産業面での後れには抗しがたいものがある。それが県人気質、県民性に由来するものだとしたら、立ち直りには相当の努力と時間を要するものと覚悟せねばなるまい。

投稿者:事務局長 井阪 英夫|投稿日:2002年7月