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研究員 高橋 香
稜線の歴史ロマン・飯豊山(いいでさん)

長く続く趣味に登山がありますが、最近登ったなかで印象深かった山に飯豊山(いいでさん)があげられます。そこは、福島県、山形県、新潟県の境に位置し標高2,105メートル、日本百名山のひとつに数えられている東北地方の名山です。

飯豊山の開祖として、一説にかの役小角の名前も挙げられているほど歴史は古く、古来より山岳信仰の対象となっていました。山の各方面からいくつも登山道は開かれていますが、飯豊山神社から山頂の奥宮への道が表参道と呼ばれており、麓の集落は飯豊山参拝の拠点として、また会津と米沢を結ぶ宿場としても栄えたと記録にあります。飯豊山への参詣は、豊作祈願のほかに、近隣住民にとって大人になるための通過儀礼であり、男子が13~15歳になると飯豊山に登るのがしきたりになっていたそうです。

このように古い歴史のある飯豊山ですが、現在の地形図をよく見ると、山形県と新潟県の間に飯豊山の稜線が、福島県の土地として細長く挟まれているのがわかります。これには次のような経緯があるそうです。


明治時代の廃藩置県により飯豊山頂のあった東蒲原郡が福島県から新潟県に編入され、飯豊山が新潟県側に組み込まれてしまうことになりました。そのため飯豊山神社の麓宮のある福島県一ノ木村(現在の喜多方市山都町)が「飯豊山神社と飯豊山山頂にある奥宮は一体のもので、二県にまたがるのはおかしい」として猛反発し、新潟県実川村(現在の阿賀町)も、「飯豊山は古来より越後の山だ」として対立しました。大きな進展が見られないまま20数年が過ぎましたが、明治40年、「飯豊山神社の参道は、福島県一ノ木村の帰属」との内務大臣の裁定がくだされ、ようやく紛争はおさまりました。飯豊山信仰による歴史的背景を鑑みた判断だったのでしょう。そうしてこの細長い県境ができたということです。


その参道とは、長さ約7.5キロメートル、幅の狭いところでは1メートル弱、広いところでも飯豊山神社の奥の院がある山頂辺りの300メートルほどのところです。

稜線には境界を示すものもなく、花と残雪の山としてのんびり楽しんで歩きました。車窓から稜線を眺め、改めて感慨深い山旅となりました。